2011年5月23日月曜日

エヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』

エヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』岡野八代・牟田和恵監訳、白澤社、2010年.

日本語版への序文/はじめに(pp.1-21.)

引用:
・「本書における私の焦点は、こんにちにおいても、家族の内外で依存のケアに対して多くを期待される女性たちの苦闘にあったのです。」(p.3)
・「私たち人間が深く相互依存する生物であるだけでなく、ときには、必然的・不可避の依存状態を経験するのだということを私たち自身が理解しない限り、男女平等の真の実現はユートピアのままでしょう。」(p.3)
・「依存労働で果たされている移民労働の役割を学ぶことを通して、国家の制度に限定された正義の概念は、こんにちのグローバル化した世界では適さないことがわかってきたのです。」(p.4)
・「家庭は、依存者にとっての避難場所であり、政治理論がすべての人menは平等であるといくら主張しても、家族を廃絶することなどできない。」(p.10)
・「私が言いたいのは、その相互依存は一方的な依存から始まるということだ。」(p.12)
・「本書は、依存労働をより公平に分配することについて論じるものである。」(p.15)

コメント
・このような翻訳書を読むと、草稿の段階で本当に多くの人からコメントをもらっていることがわかる。日本語の文献でそのような記述があるものはあまり目にすることはない。それはきっと、研究にたいする志向を反映しているのではないかと思う。とりわけ、「独創性」に対する考え方の違いを感じる。アイデアを盗まれる、という話を聞くこともあるが、本来、研究を進める上でそのようなことを警戒する必要はないはず。研究の主眼はもっと別のところにあるのではないか。特に社会科学は、何らかの「問題」を取り上げ、自分の立場を明確にしつつ、論じていく作業をしている。研究は、その問題を共有し、多様な視点から考えを深めていくことに価値があるのだろう。その意味では、より多くの人と問題関心を共有するというのは、とても重要なことであると思う。「独創性」というものは、ひとりの独立した思考者(independent thinker)としての「成果」を提示するところに生まれるものだと思う。
・「序文」と「はじめに」しか読んでいないが、著者はとてもわかりやすい言葉で(こなれた翻訳にも助けられている)自身の立場を明確にしている。このような書き方ができるようになりたいし、さらに読み進めていきたい。

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